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岐阜ぎふではまだ蒼空あおぞらが見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原まいばら、長浜ながはまは薄曇うすぐもり、幽かすかに日が射さして、寒さが身に染みると思ったが、柳やなヶ瀬せでは雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交まじって来た。 (雪ですよ。) (さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰あおいで空を見ようともしない、この時に限らず、賤しずヶ岳たけが、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖びわこの風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。  敦賀で悚毛おぞけの立つほど煩わずらわしいのは宿引やどひきの悪弊あくへいで、その日も期したるごとく、汽車を下おりると停車場ステイションの出口から町端まちはなへかけて招きの提灯ちょうちん、印傘しるしがさの堤つつみを築き、潜抜くぐりぬける隙すきもあらなく旅人を取囲んで、手てン手でに喧かまびすしく己おのが家号やごうを呼立よびたてる、中にも烈はげしいのは、素早すばやく手荷物を引手繰ひったくって、へい難有ありがとう様さまで、を喰くらわす、頭痛持は血が上るほど耐こらえ切れないのが、例の下を向いて悠々ゆうゆうと小取廻ことりまわしに通抜とおりぬける旅僧は、誰たれも袖を曳ひかなかったから、幸いその後に跟ついて町へ入って、ほっという息を吐ついた。


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泉鏡花

泉鏡花

泉 鏡花は、日本の小説家。明治後期から昭和初期にかけて活躍した。小説のほか、戯曲や俳句も手がけた。帝国芸術院会員。 金沢市下新町生まれ。尾崎紅葉に師事した。『夜行巡査』『外科室』で評価を得、『高野聖』で人気作家になる。



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